最強官庁大蔵省
読み始めですが。
非自民政権の成立、
橋下首相の行財政改革、
小選挙区を柱とする政治改革、
撤退戦を強いられる大蔵省の凋落と、
官邸主導への流れ。
すべて歴史の必然ですね。
増える予算のぶんどり合戦が権利の源泉だったのですね。
族議員と大蔵省、財界の鉄の同盟。
首相よりも派閥の長のほうが強かった。
積上げ型、縦割り、全会一致型のシステム。
主計官が、夜中に、「新鮮なサラダが食べたい」とつぶやけば厚生省の役人は、銀座のクラブに飛んでいってサラダを分けて貰うという時代があったとか。
最後の大物が、細川時代の齊藤事務次官。
小沢氏を最高権力者と判断して、かつぎあげたものの、国民福祉税の頓挫で自爆。
以後、反大蔵省の改革論者の政治家が権力を持つ切っ掛けになった。
日本は、一部の官僚、一部の政治家、一部の財界人が相互に牽制する権力構造の国だった。
官僚(大蔵省)が税収を失い、バブル崩壊で財界が力を失い、政治家が力を得ているのが現在の時代。
昔は官僚の無謬という言葉があったのですね。
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P19
大蔵省は前年の92年秋から、息を詰めて政局を見守ってきた。自民党の最大派閥・竹下派の会長で、当時政界の最高実力者でもあった金丸信が佐川急便事件で失脚。同派はそれをきっかけに、跡目争いから小沢一郎を核とする羽田(孜)派と、派閥の創業者でもある元首相の竹下登を後ろ盾にする小渕恵三らの小渕派に分裂した。小沢は衆院への小選挙区制導入などの政治改革を旗印に「改革派」を名乗り、反対勢力を「守旧派」と決めつけた。
P24
こんな予算編成の新機軸も、下野した自民党には、大蔵省を先頭に霞ヶ関が自分たちを捨て、手のひらを返したように非自民政権にすり寄っていくように映った。
(略)
しかも、大蔵省などが頼る与党最高実力者は、自民党を政権から追い落とした張本人の小沢だ。党内に渦巻く「反小沢」の怨念は、そのまま反官僚、反大蔵の感情に転嫁し始める。
P41
福祉税構想の蹉跌が、自民党政権で長らく下火になっていた行革を最重要課題として政局の舞台のど真ん中に再び押し出した。大蔵省中枢は、消費税増税をにらんで切ったつもりの「行革カード」の矛先がほどなく自分に向かってくるとは、気がついていなかった。