必要悪

 どうしたって、社会の規則になじめない人、生まれつき努力ができない人っています。そういう人達の雇用の受け皿となる必要悪ってあると思います。建前の正論でこれを排除したって、これに替わる生活の手段を与えないとすれば、返って社会のコストは増加すると思う。次の箇所を読んで思いました。
 日本人は本音の議論ができない一例。
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市場検察
村山治 文藝春秋
 P386
 山口組や住吉連合会、稲川会などの巨大暴力団ごとに内情に通じたベテランの刑事がいた。
 彼らは、組事務所自由に出入りでき、組織の領袖クラスから直接情報を聴き出した。
 抗争事件があると、電話一本で、事件の経緯を報告させ、場合によっては、抗争の実行犯の組員を出頭させた。格安のコストで、社会の安全を守ってきたのだ。
 賭博罪で逮捕され、服役した組長が、出所した日に、摘発したベテラン刑事の自宅にお祝いの酒樽を届けることもあった。
 それは「お礼」を口実にした脅しではなかった。組長は心底、その刑事の力量に信服し、出所後の交誼を求めてきたのだった。刑事は親分肌で、服役中の組員の家族の問題など暴力団関係者から個人的な相談を受けていた。
 そういう刑事は、暴力団を押さえ込むのに力があっただけではない。暴力団の周辺関係者から、贈収賄事件の端緒を取ることもあった。1980年代まで、そういう実力派の刑事が全国にいた。それが日本の警察の「足腰」の強さになっていた。