読書41 「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

 「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか
 開沼博 青土社
 今は脱原発と騒いでるだけで福島は何も変わっていないし解決されることもないと論じてます。
 戦後、地方がとった戦略は選民の知事による反中央、反官僚だった。 しかし、地方は何が何でも中央からの事業が必要だった。ほかに戦後の貧困から豊かになる術はなかった。
 両者は矛盾しない。なぜか。
 反中央、反官僚を掲げるからこそ、交渉し、簡単には従わず、能動的かつ、自発的に中央からの事業を獲得するという論理だ。反官僚を掲げる知事が原発を獲得するのは、保守本流ゆえに可能だった。
 戦時下のような中央への抵抗ではなく、戦後の中央への主体的働きかけという点で官僚出身者が求められたと思います。
 同じ電源開発候補である新潟県に絶対負けるわけに行かない。それには反中央と同時に中央とのパイプがないと話にならなかったのではないでしょうか。
 原子力は、開発と稼働時に最大の税収がもたらされる。その後は償却資産税は、時とともに減少し続け、原発の寿命は30年とはじめから分かっている。その意味ではポスト原発は、はじめからの課題だった。
 しかし、税収が増えた時に組まれる予算は減らせない。ポスト原発は、原発施設の増築。これ以外に福島のとる選択肢はなかった。
 資本を提供する中央と、土地と労働を提供する地方の服従関係なしには、戦後日本の成長はあり得なかった。その象徴が原発だった。
 著者は、なんと27歳の学生。なぜこんな書籍が書けるのだろう。
 P372
 しかし、一方で、圧倒的な「善意」「良き社会の設立」に向けられているはずの「脱原発のうねり」もまた何かをとらえつつ、他方で何かを見落としていることを指摘せざるを得ない。原発を動かし続けることへの志向は一つの暴力であるが、ただ純粋にそれを止めることを叫び、彼らの生存の基盤を脅かすこともまた暴力になりかねない、

 P220
 石原知事は強行体制で臨んだ。「食糧問題について、作況調査その他の実態調査を中央でやり、供出を割当てて、供出だけ県にやらせ、生産資材の割り当ても一切中央で握るのでは余りに虫がよすぎる」と極度に不満の意をもらし、「もしも農林省が規定方針を押し通す場合には、供米事務を一切中央に委ねる」という強硬態度をとっていた。官選時代とちがい地方自治に根ざした「選民知事」の効果はてきめんであった。

 P373
 かつて原子力ムラが平穏だった時、富岡町の住民の口から聞いた言葉が蘇る。
「東京の人は普段は何も関心がないのに、なんかあるとすぐ危ない危ないって大騒ぎするんだから。一番落ち着いているのは地元の私たちですから。ほっといてくださいって思います。」
 中央は原子力ムラを今もほっておきながら、大騒ぎしている。