過去はすべて記憶

 過去の体験による感覚は、すべて記憶として残っているだけだと思う。

 子供の頃のおやつが欲しいという感覚は、記憶として残っているだけです。大人になればおやつはいらないのですから。自分も子供の頃はそうだった、という過去の記憶でしかない。サラリーマン時代に手当や賞与の査定に一喜一憂したことは、開業した今、記憶としてしか残っていない。

 そのように考えると昨日の体験による感覚や思い、といったものも「そう感じた」という単なる記憶であり、感覚としては残っていないと思う。

 しかし、現在の「感覚」は、変えようのない過去の「感覚」が作っているともいえます。
 今の「感覚」を観察することに好奇心をもとう。明日には単なる記憶になっているのですから。